追悼 ナンシー・梅木&ルチアーノ・パヴァロッティ
昨日突然ナンシー梅木(8月28日にミズーリ州にある医療保養施設で、癌のため死去)とルチアーノ・パヴァロッティ(膵臓がんで摘出手術を受けた後、9月6日に腎不全で死去)の訃報が飛び込んできました。ナンシー・梅木といえば、日本の生んだ最高のジャズ歌手の一人。そしてパヴァロッティは言うまでもなく20世紀のイタリアが生んだ大テノール!突然のこの二人の大歌手の訃報は私にとって晴天の霹靂でした。パヴァロッティの方は入退院を繰り返したことがニュースで報じられてはいましたが、二人の逝去には何か一つの時代の終わりを感じるものがあります。
手元にナンシー・梅木の「ナンシー・梅木 アーリー・デイズ 1950~1954」というCDがあります。
このCDは2001年にキング・レコードから発売されたものですが、ここに収められてた彼女のジャズの本質を突くような歌声は素晴らしいものです!その独特のジャズのムードを醸し出す歌唱力は本当に見事。日本人にもこれだけジャズを歌える歌手がいたのかというのが、このCDを初めて聴いた時に受けた正直な感想でした。
彼女のこの素晴らしい歌声も渡米して活動の本拠地をアメリカに移してしまってからは、すっかり忘れられてしまっていましたが、近年になってその評価がますます高まりつつあります。
さすがに早くから米軍キャンプで歌っていただけに、彼女の英語の発音もまた聴きものです。
日本語よりもむしろ英語の方が彼女の歌声にはフィットしているようです。そういえば美空ひばりがジャズを歌ったアルバムでも、彼女の英語の発音の素晴らしさに驚いたことがありました。
ミヨシ・ウメキ(Miyoshi Umeki、1929年~ 2007年)は北海道の小樽市生まれ、本名は梅木美代志、芸名はナンシー梅木。彼女は兄が進駐軍の通訳をしていた関係で、早くから米軍キャンプでジャズを歌うようになり、1950年代にはジャズ歌手として角田孝&シックス等のジャズバンドで活躍してその人気を高めました。
しかし1955年に音楽の勉強をするために渡米してからは、彼女は活動の舞台をアメリカに移します。そしてマーキュリー・レコードと契約して 「Miyoshi Umeki/Miyoshi Sings for Arthur Godfrey」等のアルバムを発表します。
1957年にはマーロン・ブランド主演、ジョシュア・ローガン監督の「サヨナラ」でスクリーン・デビューし、これでアジア人としては初めてアカデミー助演女優賞を受賞します。これを見ただけでも彼女の経歴は歌手としても女優としても世界に通用する一流のものだったんですね。
しかし、彼女の私生活は決して恵まれてはいませんでした。一度離婚を経験し、その後縁あって再婚しますが、その結婚でも夫に先立たれて、彼女は大きなこころの痛手を受けてしまいます。以後は芸能生活から遠ざかって、マスコミの取材にも応じずにひっそりと余生を送っていました。
日本の生んだ最高のジャズ歌手、ナンシー・梅木!このアルバムで聞かれる「キス・ミー・アゲイン」や「アイム・ウェイティング・フォー・ユー(君待てども)」が彼女の私生活と相まって、一層その歌声がこころに深く響いてきました。
20世紀のイタリアが生んだ名テノール、ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti、1935年~ 2007年)はモデナ出身、父はパン職人でしたがアマチュアのテノール歌手でもありました。後にカラヤンの「ラ・ボエーム」等で共演するソプラノのミルレラ・フレーニ(Mirella Freni、1935年~ )とは同郷の幼馴染だそうです。
かつて、モンセラ・カバリエが「フレーニがあんなにスマートなのは、パヴァロッティがミルクをほとんど飲んでしまったからよ」と語ったのを読んだことがありますが、二人は同じ乳母によって育てられ、同じ幼稚園を卒園しました。
1961年にパヴァロッティはレッジョ・エミーリアの声楽コンクールで優勝、同地の市立劇場で「ラ・ボエーム」のロドルフォ役を歌ってオペラの初舞台を踏みます。以後ウィーン国立歌劇場(63年)やスカラ座(64年)でもやはりこの役でデビューを果しますが、それまでは、保険の外交の仕事をやりながら声楽の勉強を続け、苦労を重ねたようです。これ以降の活躍は皆さんがご存知の通りですね!
私がパヴァロッティを意識して聞いた作品はカラヤンの指揮したプッチーニの「ラ・ボエーム」(72年録音、ベルリン・フィル)と「蝶々夫人」(74年録音、ウィーン・フィル)です。二組ともカラヤンの演出が徹底して演奏の隅々にまで行き渡り、磨き抜かれた見事な名演でした。加えてこの演奏でのフレーニの瑞々しい歌声と、パヴァロッティのリリックなテナーの歌声がどれほどその価値を高めていたことか!どちらの演奏もいまだに名盤として聞き継がれているものです。(後にクライバーと組んだ「ラ・ボエーム」もDVDで発売されましたね)
パヴァロッティの名盤にも事欠きません。ドニゼッティの「愛の妙薬」(レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団、89年録音)のネモリーネ、サザーランドと共演した「連隊の娘」(サザーランドの歌はともかくとして! ボニング指揮コヴェントガーデン歌劇場管弦楽団)、劇的なスピントの表現に転向したヴェルディの「トロヴァトーレ」(レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団、88年録音、DVD)や「オテロ」(ショルティ指揮シカゴ響、91年ライブ)!そして「オ・ソレ・ミオ~イタリア民謡集」とどれを聞いても彼の声のもつ魅力が聞くものに感動を与えます。私は不調といわれたムーティとの「ドン・カルロ」( 92年、ミラノ・スカラ座ライブ)も愛聴しています!!
ところで彼がポピュラー・ソングを歌った「カルーソー」という曲があります。
「カルーソー」はイタリアの作曲家であり、また自らも歌手であるルチオ・ダッラがルチアーノ・パヴァロッティに捧げた曲で、48歳で逝去した20世紀の生んだ最大のテノール歌手、エンリコ・カルーソ(Enrico Caruso、1873年~
1921年)の最後の日々を歌った曲です。カルーソーは600の作品の内の500曲をレパートリーにしていたといわれ、晩年には民謡やポピュラー・ミュージックの分野にまで足を踏み入れ、その美声で聞くものを魅了していきました。
かつてマリア・カラスがプッチーニのトスカのアリア、「歌に生き、恋に生き」を歌うのを聴いて、まるで彼女そのものの人生を歌っているような感覚を受けたことを憶えています。ここでのパヴァロッティの歌唱も、カルーソーに自分の人生を託しながら、彼自身のこころを歌い上げたもので、そこから受ける感動も一入のものがありました。
「カルーソ」(ルチオ・ダルラ)
美しい海が 星たちを招き
強い風が吹いている
とある古いバルコニー
それはソレント湾に向いている
そこで 一人の男が娘を抱きしめている
彼は さめざめと泣いた後
せきばらいで声を整え
再び歌を歌い始めた
僕は あなたが大好きだ
そう とても とても好きだ
あなたはこうして鎖を
その熱い血で解き放ってくれる
海に光る明かりを見て
アメリカでの夜を思った
海の光は夜釣りの打瀬網
そしてス クリューの残す白い波跡・・・
彼は音楽に悲しみを感じ
ピアノから立ち上がった
けれど雲間に月が現れるのを見るうち
死さえも 何か甘く思えてくる
彼は娘の目を見た
海のように青い その娘の目を
すると急に涙がこぼれ
彼はまた歌い始めた
僕は あなたが大好きだ
そう とても とても好きだ
あなたは こうして鎖を
その熱い血で解き放ってくれる
皆さんもナンシー・梅木とパヴァロッティの素晴らしい歌声を改めて聴いてみてはかがでしょうか。
それでは今日はこのあたりで。
二人の偉大な歌手に合掌!!
手元にナンシー・梅木の「ナンシー・梅木 アーリー・デイズ 1950~1954」というCDがあります。
このCDは2001年にキング・レコードから発売されたものですが、ここに収められてた彼女のジャズの本質を突くような歌声は素晴らしいものです!その独特のジャズのムードを醸し出す歌唱力は本当に見事。日本人にもこれだけジャズを歌える歌手がいたのかというのが、このCDを初めて聴いた時に受けた正直な感想でした。
彼女のこの素晴らしい歌声も渡米して活動の本拠地をアメリカに移してしまってからは、すっかり忘れられてしまっていましたが、近年になってその評価がますます高まりつつあります。
さすがに早くから米軍キャンプで歌っていただけに、彼女の英語の発音もまた聴きものです。
日本語よりもむしろ英語の方が彼女の歌声にはフィットしているようです。そういえば美空ひばりがジャズを歌ったアルバムでも、彼女の英語の発音の素晴らしさに驚いたことがありました。
ミヨシ・ウメキ(Miyoshi Umeki、1929年~ 2007年)は北海道の小樽市生まれ、本名は梅木美代志、芸名はナンシー梅木。彼女は兄が進駐軍の通訳をしていた関係で、早くから米軍キャンプでジャズを歌うようになり、1950年代にはジャズ歌手として角田孝&シックス等のジャズバンドで活躍してその人気を高めました。
しかし1955年に音楽の勉強をするために渡米してからは、彼女は活動の舞台をアメリカに移します。そしてマーキュリー・レコードと契約して 「Miyoshi Umeki/Miyoshi Sings for Arthur Godfrey」等のアルバムを発表します。
1957年にはマーロン・ブランド主演、ジョシュア・ローガン監督の「サヨナラ」でスクリーン・デビューし、これでアジア人としては初めてアカデミー助演女優賞を受賞します。これを見ただけでも彼女の経歴は歌手としても女優としても世界に通用する一流のものだったんですね。
しかし、彼女の私生活は決して恵まれてはいませんでした。一度離婚を経験し、その後縁あって再婚しますが、その結婚でも夫に先立たれて、彼女は大きなこころの痛手を受けてしまいます。以後は芸能生活から遠ざかって、マスコミの取材にも応じずにひっそりと余生を送っていました。
日本の生んだ最高のジャズ歌手、ナンシー・梅木!このアルバムで聞かれる「キス・ミー・アゲイン」や「アイム・ウェイティング・フォー・ユー(君待てども)」が彼女の私生活と相まって、一層その歌声がこころに深く響いてきました。
20世紀のイタリアが生んだ名テノール、ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti、1935年~ 2007年)はモデナ出身、父はパン職人でしたがアマチュアのテノール歌手でもありました。後にカラヤンの「ラ・ボエーム」等で共演するソプラノのミルレラ・フレーニ(Mirella Freni、1935年~ )とは同郷の幼馴染だそうです。
かつて、モンセラ・カバリエが「フレーニがあんなにスマートなのは、パヴァロッティがミルクをほとんど飲んでしまったからよ」と語ったのを読んだことがありますが、二人は同じ乳母によって育てられ、同じ幼稚園を卒園しました。
1961年にパヴァロッティはレッジョ・エミーリアの声楽コンクールで優勝、同地の市立劇場で「ラ・ボエーム」のロドルフォ役を歌ってオペラの初舞台を踏みます。以後ウィーン国立歌劇場(63年)やスカラ座(64年)でもやはりこの役でデビューを果しますが、それまでは、保険の外交の仕事をやりながら声楽の勉強を続け、苦労を重ねたようです。これ以降の活躍は皆さんがご存知の通りですね!
私がパヴァロッティを意識して聞いた作品はカラヤンの指揮したプッチーニの「ラ・ボエーム」(72年録音、ベルリン・フィル)と「蝶々夫人」(74年録音、ウィーン・フィル)です。二組ともカラヤンの演出が徹底して演奏の隅々にまで行き渡り、磨き抜かれた見事な名演でした。加えてこの演奏でのフレーニの瑞々しい歌声と、パヴァロッティのリリックなテナーの歌声がどれほどその価値を高めていたことか!どちらの演奏もいまだに名盤として聞き継がれているものです。(後にクライバーと組んだ「ラ・ボエーム」もDVDで発売されましたね)
パヴァロッティの名盤にも事欠きません。ドニゼッティの「愛の妙薬」(レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団、89年録音)のネモリーネ、サザーランドと共演した「連隊の娘」(サザーランドの歌はともかくとして! ボニング指揮コヴェントガーデン歌劇場管弦楽団)、劇的なスピントの表現に転向したヴェルディの「トロヴァトーレ」(レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団、88年録音、DVD)や「オテロ」(ショルティ指揮シカゴ響、91年ライブ)!そして「オ・ソレ・ミオ~イタリア民謡集」とどれを聞いても彼の声のもつ魅力が聞くものに感動を与えます。私は不調といわれたムーティとの「ドン・カルロ」( 92年、ミラノ・スカラ座ライブ)も愛聴しています!!
ところで彼がポピュラー・ソングを歌った「カルーソー」という曲があります。
「カルーソー」はイタリアの作曲家であり、また自らも歌手であるルチオ・ダッラがルチアーノ・パヴァロッティに捧げた曲で、48歳で逝去した20世紀の生んだ最大のテノール歌手、エンリコ・カルーソ(Enrico Caruso、1873年~
1921年)の最後の日々を歌った曲です。カルーソーは600の作品の内の500曲をレパートリーにしていたといわれ、晩年には民謡やポピュラー・ミュージックの分野にまで足を踏み入れ、その美声で聞くものを魅了していきました。
かつてマリア・カラスがプッチーニのトスカのアリア、「歌に生き、恋に生き」を歌うのを聴いて、まるで彼女そのものの人生を歌っているような感覚を受けたことを憶えています。ここでのパヴァロッティの歌唱も、カルーソーに自分の人生を託しながら、彼自身のこころを歌い上げたもので、そこから受ける感動も一入のものがありました。
「カルーソ」(ルチオ・ダルラ)
美しい海が 星たちを招き
強い風が吹いている
とある古いバルコニー
それはソレント湾に向いている
そこで 一人の男が娘を抱きしめている
彼は さめざめと泣いた後
せきばらいで声を整え
再び歌を歌い始めた
僕は あなたが大好きだ
そう とても とても好きだ
あなたはこうして鎖を
その熱い血で解き放ってくれる
海に光る明かりを見て
アメリカでの夜を思った
海の光は夜釣りの打瀬網
そしてス クリューの残す白い波跡・・・
彼は音楽に悲しみを感じ
ピアノから立ち上がった
けれど雲間に月が現れるのを見るうち
死さえも 何か甘く思えてくる
彼は娘の目を見た
海のように青い その娘の目を
すると急に涙がこぼれ
彼はまた歌い始めた
僕は あなたが大好きだ
そう とても とても好きだ
あなたは こうして鎖を
その熱い血で解き放ってくれる
皆さんもナンシー・梅木とパヴァロッティの素晴らしい歌声を改めて聴いてみてはかがでしょうか。
それでは今日はこのあたりで。
二人の偉大な歌手に合掌!!
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コメント
二人ともやっぱり偉大な歌手だったね!!
パヴァロッティがオリンピックで歌った「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」も強く印象に残ってるね。
でも二人が世を去ってしまったことに寂しさを感じるのも事実!!
パヴァロッティがオリンピックで歌った「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」も強く印象に残ってるね。
でも二人が世を去ってしまったことに寂しさを感じるのも事実!!
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ナンシー梅木 訃報
【送料無料選択可!】ナンシー梅木 アーリー・デイズ 1950-1954 / ナンシー梅木商品価格:2,520円レビュー平均:0.0洋画と日本洋画と日本洋画の中で日本が舞台になっていたり、日本人が出てくる映画をジャンルと一緒に教えて下さい。(続きを読む) 日本が舞台のハリウッド?
きっと全盛期の歌唱には及ばないんだろうけど素敵だなって思いました
人が亡くなるのは定めだけどやっぱり淋しさを感じますね